北海道命名の地(松浦武四郎)

 『天塩日誌』安政4年(1857年)6月、蝦夷地通でアイヌ語も話せる、松浦武四郎は蝦夷地調査を命じられ、天塩川河口から丸木船2艘を仕立て、アイヌの人々の案内で源流を目指しました、武四郎は数百メ-トル毎に方位を図り、距離と地形を記録し、周囲の風景と動植物を観察描写して、約30日間の調査をしており、その間の貴重な体験と、様々な出来事を記録した、調査報告文書が「天塩日誌」です。この時天塩川の中流域にある、「オニサシ」と云うところで野営をし、此の地に於いて「北海道」と命名したと云われて居ります。「今の中川郡音威子府村筬島」になりますが、現地では今でも支流「オニサシベッ」という川が流れております。

旭川~稚内を結ぶ国道40号線の中央付近にオトイネップ村が有ります。そこの筬島と云うところに、この看板が立って居ります。
北海道命名の地

北海道命名の地
 
 今年夏(平成16年)の命名の地は、周囲の雑草も刈り取られ綺麗になって居りました。
筬島3
 松浦武四郎の業績、足跡などが書かれて居り、真ん中当たりに宿泊場所「オニサシ」と書かれて居ります。
オニサシ1

 記念碑から見た風光明媚な、道北の母なる川天塩川の風景です。今でも秋に成ると、鮭(道産子弁で秋味)が群を成して、遡上する姿が見られます。対岸の森の中を「天北本線」が走り、左下流が稚内方面(120km)、右上流が旭川方面(140km)です。
筬島2

天塩川2
筬島1



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